3秒ルール【ナンパ・翻訳メモ】
ラテマネー【家計メモ】
ラテマネーとは、カフェで一杯ラテを買ってしまうようなお金のことを言う。小さい金額のお金なので、気にかけないことが多いが、積もり積もって大変な金額を失うことになる。
仮に、1日に1000円のコーヒーとケーキのセットを購入しているとする。そのケーキセットを我慢して1日1000円を投資にまわしたとすると、
1000円×365日×年利10%×40年
という計算になり、40年で2億円を超す。年利10%の運用は現実的ではないし、税金や様々なリスクは計算に含めていないので、2億円は大げさだが、ラテマネーはここまで大きな出費になる。
カフェに行かなくても、コンビニでの買い食いや、自販機での飲み物の購入もラテマネーに含まれるだろう。
ラテマネー自体が悪いわけではないが、無意識にお金を使っているとしたら問題だ。1日1000円を1カ月我慢するだけで30000円になる。30000円あればかなりの贅沢ができる。1年我慢すれば365000円となり、海外旅行に行くことさえ可能になる。
【まとめ】
これは選択の問題だ。ラテマネーとして小金をどんどん消費してしまう生活か、ちょっと我慢して本当に欲しい物にお金をかけたり、貯金・投資にまわして経済的自由を手に入れるか。
love HOME Style 美しくシンプルな収納のアイデア集【読書メモ】
超おしゃれなモノトーン収納の本。
はじめに
Part1 広くて大きい収納スペースの使い方アイデア
Part2 100円ショップで見つけた収納アイテム
Part3 定番ショップのアイテムを使った収納アイデア
Part4 積む・並べる・置くetc.ものの特徴に合わせるしまい方
Part5 扉の中もきれいに見せるアイデア
Part6 楽家事・時短・節約につながるlove HOME Styleのアイデア
おわりに
アイテム別インデックス
この本は、おしゃれな収納の参考に良い本だ。収納は、自分流でやろうとしてもなかなかうまくいかないものだから。
おしゃれかつ、合理的な収納方法が紹介されているので、日々の生活効率の向上間違いなしだ。
生活を快適にするためにさまざまな工夫をすることは
暮らしをスムーズにするだけでなく
家族関係をより良くしたり時短や節約にもつながったりと
良い連鎖になっていくことを日々、実感しています。
部屋を整えると、生活全般が向上するというのは、すぐに実感できた。料理をするにしても断然手際が良くなるし、食料等の在庫も把握できるので計画的に買い物ができる。それに、落ち着いた部屋にいると集中できるので、読書やブログ書きもはかどった。
kindle版もあります(右)。
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ほぼ日手帳公式ガイドブック2015【読書メモ】
今年のテーマは『LIFEのBOOK』。
仕事を始めてから、いろいろな手帳を使ってきたが、ほぼ日手帳が一番だと思う。
ほぼ日手帳の特徴
Pick UP Cover
Hobonichi Techo NEWS!
糸井重里インタビュー
ほぼ日手帳2015
31人のLIFEのBOOK ほぼ日手帳の使い方。
The Hobonichi Techo Times
大人気小説〈物語〉シリーズ コラボコラム
2015年版!ほぼ日手帳の使い方テクニック70
毎年カラフルで可愛らしいデザインのカバーが登場するので、ガイドブックを眺めているだけで、1日はつぶせる。
値段は高いが、それ以上の機能性とデザインをもった優れた手帳だ。ロフトに行けば必ずサンプルが置いてあるので、少しでも興味がある方は実際に手に取ってみると良いと思う。
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アップルワイン【お酒メモ】
りんごのワインという、一風変わったお酒。ニッカウヰスキーが製造している。ニッカは創業当時、ウイスキーの醸造から販売までの熟成期間に、つなぎとしてジュースを売っていた過去があるので、りんごとは縁が深いのだ。
詳しくは、竹鶴政孝さんの自伝に乗っている。
りんごのワイン・果汁・ブランデーがミックスされていてりんごずくめで非常に甘い。アルコール度数は22%と、やや高め。飲んだ感じは、梅酒に近い。
ストレートでしか飲んでいないが、ロックやソーダ割りも絶対おいしいと思う。おいしいわりには安いので、とてもお得。
リピーターになろうと思う。
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それをお金で買いますか【読書メモ】
お金では買えない道徳的・市民的「善」を問う。
「お金の理論」(=市場主義)が、私たちの生活を侵食してきていることに対する問題提起の本。どうでもよいが、著者のサンデル教授は、ロシアのプーチン大統領に似ている気がする。
目次
序章 市場と道徳
第1章 行列に割り込む
第2章 インセンティブ
第3章 いかにして市場は道徳を締め出すか
第4章 死と生を扱う市場
第5章 命名権
謝辞
訳者あとがき
原注
冷戦が終わると、市場と市場的思考は比類なき威光を放つようになった。それも無理はない。物の生産と配分を調整する他のいかなるメカニズムも、富と繁栄を築くことにかけては、市場ほどの成功を収めたことがなかったからだ。
著者も、市場主義の合理性は認めている。ソ連をはじめとする社会主義国家の崩壊により、計画経済の限界が証明されたからだ。市場主義のおかげで世界は確実に発展している。その上で著者はこう主張する。
こんな生き方がしたいのかどうかを問うべき時がきているのだ。
特に、過去にない分野への市場の進出に気をかけている。
健康、教育、公安、国家の安全保障、刑事司法、環境保護、保養、生殖、その他の社会的善の分配にこうして市場を利用することは、30年前にはほとんど前例がなかった。
貧富の差が拡大しただけではない。あらゆるものが商品となってしまったせいで、お金の重要性が増し、不平等の刺すような痛みがいっそうひどくなったのである。
貧困家庭や中流家庭が厳しい生活を強いられる理由をこう説明する。なんでもかんでもお金を要求される世の中では、「お金がなくてもなんとかなる」ということがなくなってしまうのだろう。
われわれは市場経済を持つ状態から、市場社会である状態へ陥ってしまった。
これが問題の本質だ。市場それ自体は良くも悪くもない。市場をうまく利用していたはずが、いつのまにか市場に支配されてしまっているのだ。
リューマチの治療の予約に100ドルの価値があるとすれば、自分や病院ではなくダフ屋がほとんどのお金を懐にするのはなぜだろうか?
ダフ屋行為は、需要と供給を調整し、適正価格を導き出してくれるので、経済学的には合理的だ。しかし、なんの価値も生み出さないダフ屋が儲けること、及び、金持ちだけが優先的に医療を受けることができる、という点が道徳的議論を呼びそうだ。
マネーボールは、少なくとも長い目で見れば、弱小チームのための戦略ではないことが明らかになった。
映画「マネーボール」は、ブラッドピットが冴えないオタクとコンビを組み、統計手法を用いて割安な選手を集め、弱小チームを大躍進させるという内容だった。だが、その統計手法が裕福なチームにも知れ渡ると、割安だった選手の評価と年俸が上がり、資金力が直接チーム力を左右するようになったという。皮肉な話だ。
そういえば藤沢和希さんの本に、「投資の世界にも数理解析や統計手法が浸透していて、割安な株なんてほとんど存在しないから、インデックスファンドでも買っとけ」みたいな内容があった気がする。なんとなくマネーボールの話に通ずる気がした。
栄養ドリンク、携帯電話会社、洗濯用洗剤、地元の配管資材店などのロゴや宣伝文句印刷したビニール素材で車を覆えば、広告代理店から1ヶ月に最高900ドルが支払われる。
このシステム、日本にもあればうれしい。車はお金がかかりすぎるから、敬遠して持ってなかったけど、ランニングコストが相殺されるくらい広告費用もらえるなら、買っても良いかな。
それぞれのケースごとに問わなければならない。
子供の命名権を企業に売る。野球のスタジアムに広告を掲載する。この2つのケースを考えた場合、前者は納得できないが、後者は普通のことだと思う。何を市場に委ねるかは、所有権や公正さを考慮し、社会的慣行や道徳に照らし合わせ、個別に考えなければならないと著者は主張する。
広告をまとった警察車両が登場するかもしれないという見通しに、賛否両論が巻き起こった。・・・必要不可欠なサービスへの資金投入に対する一般市民の意欲に水を差すという主張もあった。
公共サービスへの一般市民の関心の低下は、市民社会の根底を揺るがしかねない問題だ。市民が全てを市場に委ね、一部の有力者が自身の周りだけサービスを充実させる様を想像すると、それは封建社会の領主そのものだ。
この善やあの善の意味を論じることに加えて問う必要があるのは、われわれはどんな種類の世界に生きたいかという、もっと大きな問いだ。・・・お金で買えるものが増えれば増えるほど、異なる職種や階層の人たちが互いに出会う機会は減ってゆく。野球の試合を観に行き、スカイボックス(ウサギ注:VIP専用のガラス張り・シャンパン付の席。多額の席料が必要。)を見上げるとき、あるいはスカイボックスから見下ろすとき、それがわかる。かつて球場で見られた、階級が交じり合う経験の消滅は、見上げる人のみならず見下ろす人にとっても損失だ。
貧富の差は昔からあったが、あまりにもお金でどうにかなるものが増えすぎると、ただ単に豊かな生活を送ることだできること以上の差がついてしまうのだ。新たな階級社会と言っても良いかもしれない。そのことの良し悪しは判断しかねるが、市場主義の導入による影響は、みんな認識しておいたほうが良いと思う。
【感想】
サンデル教授の以前の著書、「これからの「正義」の話をしよう」を読んだときにも感じたが、これは、いわゆる答えのない問題だ。時代とともに移ろいゆく価値観の中で、絶対的に正しいものなど存在しない。
常に学び、時代の変化について行き、自分で価値判断できるような人間になりたいと思う。
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おくのほそ道【読書メモ】
著者:松尾芭蕉、初版:江戸時代。いまから300年以上も前に書かれた、聖俳松尾芭蕉による旅日記。
夏草や 兵どもが 夢の跡
〔今、夏草深く生い茂るここ高館は、昔、武士たちが雄々しくもはかない栄光を夢見た戦場の跡である。季語ー夏草(夏)〕
や、
閑かさや 岩にしみ入る 蟬の声
〔立石寺は全山、夕暮れのなかに静まりかえっている。その静寂のなかで、蟬の声だけが、岩にしみとおるように聞こえてくる。季語ー蟬(夏)〕
などが有名。この五七五を聞くだけで、目の前に情景が浮かび上がる気がする。
栗という文字は、西の木と書きて、西方浄土に便りありと、行基菩薩の一生杖にも柱にもこの木を用ゐたまふとかや。
世の人の 見付けぬ花や 軒の栗
栗という字は、西の木と書くので、西の方の極楽浄土と縁があるらしい。
・・・芭蕉が忍者の里といわれる伊賀(三重県)の出身であり、その一生に不明の部分が多いからである。芭蕉忍者説は、今もなお健在である。
確かに、まともな交通手段のない江戸時代に、俳句のためだけに何ヶ月も旅に出るのは不自然な気はする。宿代とかどこから出ているのかも読んでいて疑問に感じていた。
菊には古くから長寿延命の効能があるといわれ・・・皇室の紋章に選ばれたのも、他の花がみな枯れる秋にあって、ひとり咲き誇る生命力の強さが愛でられたのだ。
これは、解説からの引用だが、こういったトリビアに触れることができるのも古典の醍醐味だ。
福井は三里ばかりなれば、・・・
文中では、距離の単位として「里」が用いられている。1里がだいたい4km。何故、こんな中途半端な単位を、昔の人は使っていたのだろうとずっと疑問に思っていたが、 この本を読んでなんとなく分かった気がする。人間の歩く速度は、約4km/hだから、徒歩だと1里=1時間で簡単に計算できるのだ。昔は徒歩移動が基本だったから、「里」という単位が使われていたのだろう。
旅に病んで 夢は枯野を かけ廻る
松尾芭蕉、辞世の句
【感想】
3世紀以上も前に書かれた本を、こうして普通に読むことができるとは、非常に感慨深い。原文の文章は非常にすっきりしており、読んでいて清々しく感じた。現代語訳には、補足説明も自然に含まれているので、こちらも読みやすい。この本は、解説は丁寧で良いのだが、同伴者である曾良による「随行日記」が収録されていない。そちらも読みたいのであれば、他の本をあたる必要がある。
おくのほそ道の足取りをたどる本も出版されているそうなので、いつか行ってみたいと思う。
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