おくのほそ道【読書メモ】
著者:松尾芭蕉、初版:江戸時代。いまから300年以上も前に書かれた、聖俳松尾芭蕉による旅日記。
夏草や 兵どもが 夢の跡
〔今、夏草深く生い茂るここ高館は、昔、武士たちが雄々しくもはかない栄光を夢見た戦場の跡である。季語ー夏草(夏)〕
や、
閑かさや 岩にしみ入る 蟬の声
〔立石寺は全山、夕暮れのなかに静まりかえっている。その静寂のなかで、蟬の声だけが、岩にしみとおるように聞こえてくる。季語ー蟬(夏)〕
などが有名。この五七五を聞くだけで、目の前に情景が浮かび上がる気がする。
栗という文字は、西の木と書きて、西方浄土に便りありと、行基菩薩の一生杖にも柱にもこの木を用ゐたまふとかや。
世の人の 見付けぬ花や 軒の栗
栗という字は、西の木と書くので、西の方の極楽浄土と縁があるらしい。
・・・芭蕉が忍者の里といわれる伊賀(三重県)の出身であり、その一生に不明の部分が多いからである。芭蕉忍者説は、今もなお健在である。
確かに、まともな交通手段のない江戸時代に、俳句のためだけに何ヶ月も旅に出るのは不自然な気はする。宿代とかどこから出ているのかも読んでいて疑問に感じていた。
菊には古くから長寿延命の効能があるといわれ・・・皇室の紋章に選ばれたのも、他の花がみな枯れる秋にあって、ひとり咲き誇る生命力の強さが愛でられたのだ。
これは、解説からの引用だが、こういったトリビアに触れることができるのも古典の醍醐味だ。
福井は三里ばかりなれば、・・・
文中では、距離の単位として「里」が用いられている。1里がだいたい4km。何故、こんな中途半端な単位を、昔の人は使っていたのだろうとずっと疑問に思っていたが、 この本を読んでなんとなく分かった気がする。人間の歩く速度は、約4km/hだから、徒歩だと1里=1時間で簡単に計算できるのだ。昔は徒歩移動が基本だったから、「里」という単位が使われていたのだろう。
旅に病んで 夢は枯野を かけ廻る
松尾芭蕉、辞世の句
【感想】
3世紀以上も前に書かれた本を、こうして普通に読むことができるとは、非常に感慨深い。原文の文章は非常にすっきりしており、読んでいて清々しく感じた。現代語訳には、補足説明も自然に含まれているので、こちらも読みやすい。この本は、解説は丁寧で良いのだが、同伴者である曾良による「随行日記」が収録されていない。そちらも読みたいのであれば、他の本をあたる必要がある。
おくのほそ道の足取りをたどる本も出版されているそうなので、いつか行ってみたいと思う。
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